写真やってました。
「時の記憶」(2008/11/10〜11/16 | in Place M)
皆様ありがとうございました。
たくさんの方に写真を見て頂き、嬉しい限りです。
写真展が終わると次の写真展のことを良く聞かれた。ほとんどの人は「この調子で」とシリーズ化を望んでいて、決して強くない写真を褒めてくれた。
次もこの調子で続けようかと考えた。ライカM3に50mmのズミクロンレンズ、撮影感度を200に落としたイルフォードデルタ400。そっと近づいて静かに離れるといういつものスタイルで迷いはないはずだった。
そうしてしばらくするうち、意識のどこかで「このままで良いのか」と問わるようになる。何がこのままで良いのかも分からないが、日に日に強くなるこの声に、仕方なく、過去の整理を迫られることになった。
写真が弱い。
普通は何か撮ってやろうと、訴えかけてやろうとして写真を撮って発表するらしいけれど、私の写真はまるでもやしのように貧弱だし、事実撮影者の私は貧弱なもやし君である。そして背中の写真ばかりであることが殊更もやしを蹴り飛ばしたくなるのだ。
罵っても仕方ないので自己分析をする。もともとの写真の狙いは、「幸せ」というものだった。(それが伝わったかはともかくとして。)その中でも特に感情の琴線に触れないくらいの小さな、持続性のある幸せ、のようなものを求めた。
たとえば結婚のプロポーズのような一大イベントによって引き起こされた幸せの感情ではなく、ただ手をつなぐだとか、一緒に同じ景色を見るだとか、そうした中でふと浮かんで、相手の声や行動によって一時的にかき消されるくらいの「噛み締められない幸せ」を捕らえようとした。
私の撮影行為は客観的に「かわいそう」の一言に尽きる。飯も食えない貧乏が他所の団欒を窓の外から恨めしそうに覗いているのと相違ない。
幸せの定義もさまざまだけども、私にとっての幸せとは何かと考えてみると、なかなか言い表し難い。
また私にとって不幸とは何かと考えてみると、これもまたなかなか言い表し難い。
しかし、不幸とは言わずとも鬱屈した日々を過ごしていたことは確かで、何某かの願望が撮影によって昇華されたのだとも言えなくはない。酷い言い方をすれば、"ああいう"写真家は不幸のエネルギーでシャッターを切っていることになるかもしれない。病気で内向きの精神状態であれば誰でも作品は撮れると思う。
今最もセンシティブな話題なので触れておくことにする。
私の写真は背中が多い。何故か。
それは私が指をくわえながら他人の幸せを覗き見ていたからだ。写真の彼らと同じ景色を見て、同じような気持ちになれたら良いなと思っている。この写真を見て綺麗だと思って頂けたなら、それは少なくとも写真の彼らと私とあなたは同じような気持ちになったということになる。
写真の彼らを真正面から捕らえたらどうか。それでは彼らとは逆の方向を向いている。彼ら自身にに特別な何かがない限り、私には他人の幸せを喜べるような余裕は当時なかった。よそ様の顔面をドアップで写したかどうかという武勇伝には全く興味がない。上記の通り、ただそれだけなのだ。
もう一つ、私は被写体に許可を取らない。
こういうご時勢だから一声掛けろ許諾書を取れという写真家もいるけれど、普通の頭で良く考えて欲しい。彼らは彼らの時間を幸せに過ごしている。カップルなら、男性が素晴らしい一日にしようと計画していたかもしれない。そこへノコノコやってきて「写真撮らせて戴きました、署名してください」などというのは最低のブチ壊し行為である。写真家として褒められても"人でなし"だ。
今は他人を決して許さないという横並びの日本人が顕著となり、マナーだとかエチケットだとかいう名の恐怖政治が個人レベルで執り行われている。これはもはや写真云々の範疇ではないのだから、気にするのは無駄だ。
冷蔵庫の野菜室に撮影済みフィルムが10本置いてある。二台あったライカも今は一台だけ。二眼レフも良く使っていたけど、これは写真を頑張っている人にあげた。
今は写真を撮っていない。それと同時に写真を撮っていたときのように、ある景色でフレームが固まるような感覚もない。悲しいことに、もう作品というのは撮れないかもしれない。
その代わりに携帯電話についているカメラで良く写真を撮るようになった。これは実に楽しい。撮ったその場で見せることができる。人が来るかどうか分からない、来たとしてやはり写真を撮っている人かという写真展で公開するより、全く写真に関係のない人に見てもらえるのはうれしい。
今まで写真を誰に見てもらいたくて、誰に分かって欲しくて、誰に向けて撮っていたのかを考えると、写真展での達成度は100ではないにしろ、それでは不十分だった。
そうして改めて「誰に」を考えると、今は写真を撮らなくても、十分なのだという結論になった。
時の記憶は、もう記録しない。